週報より

同じ証書でもどこが発行しているかで価値が全然変わってきます。例えば卒業証書は同じ紙に同じインクをつかって作られていますが、小学校のものと中学校のもの、また高校や大学ではその価値が大きく変わってきますね。苦労して得たものであればそれはとても大切なものになるでしょう。また反対に苦労せずに手に入れていたものならいつの間にか物置の片隅においやられ、どこに置いたか気にもとめないような物となるのは時間の問題かも知れませんね。私の机正面の壁には神学校の卒業証書が今も飾られています。それを見る度に恩師の卒業式でのことば「あなた方自身が生きた卒業証書なのですよ」という言葉を思い出します。そして苦しい時にまた立ち上がる動機となっています。そこには一枚の紙ですがいろんな思い出や、神様を見上げるためのちょっとしたきっかけをくれるいろんな記憶の扉を開くスイッチのような存在があります。それを受けるために通った道を振り返る時に神様の約束、また信仰の確信などがあることを見いだします。そして揺るがない神様がそこにおられるからこそ、自分が今どんな状況であれ、神様の時に間に合うようにすべてが整えられると見ずして信じることが出来るのです。現状ではなく、そこに置いてくださった神様を見るからそういった気持ちを持つことができるのです。私たちは主にあってどういう存在でしょうか?聖書の中にはイエス様を様々な立場として私たちに遣わされることが書かれています。預言者であり王であり、友であり神でありそれを言っておられる方が全知全能の神であるからこそ聖書は確かな信仰につながっていくのです。私たちも主にあって強い者となりましょう。

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